人を苦しめて生きてきた 可愛いあの娘も俺を見捨てた
人に救われて生きてきた 涙がこぼれて飯が食えない
俺は自由だ
by 町田康「田螺」
経験の少ない人間、そして後退した人間ほど言っている事とやっている事が矛盾する。
そして経験の少ない人間ほどその矛盾に気付かず、騙され、欺かれ、
力のない人間ほどその矛盾に気付いたとしても流され、呑まれ、抗えない。
ぜひ、お試しいただきたい。
そこには何の矛盾もない、裏切りとは無縁の世界。
羨ましい限りである。
人間信用されてなんぼである。
信用を失った人間の人生を想像してみて欲しい。豊かさとは程遠い。
何よりもクソつまらなさそうだ。
信用だの信頼だの、そんなものは自分で勝ち取るものである。
何もしないで手に入れられるほど甘いものではない。
まずはベストを尽くす事。
自分の為、そして誰かの為に。
あなたもそこから始めてみてはいかがだろうか。
人は成長する生き物である。
それさえできれば、豊かな人生が待っている。
かも知れない。
そんな彼らには共通点がある。
それは何か。
自分の為、そして誰かの為に、
自分のすべきことに対して、
常にベストを尽くしているという点と、
そしてそんな人生を心から楽しんでいるという点である。
例え苦しい事があったとしても、どんな困難にぶち当たったとしても、
それができる限り前進できる、成長できる。
そしてそれが豊かな人生へと繋がっていくのである。
彼らは口先だけじゃない。
行動でそれらを示す。
そして結果で人々の期待に応え、更に高みを目指す。
その信頼は絶大である。
その絶対的な信頼が更に人々の期待を誘い、
次は何をやってくれるのだろう、どんな偉業を成してくれるのだろう、
そんなワクワク感さえ我々に与えてくれる。
結果を出し続ける限り、その信頼は揺るがない。
それが人々の希望となり、勇気となり、感動すらも与えてくれる。
そして、
信用と期待が違うように、「信用」と「信頼」も違うと私は考える。
もし、あなたが人から信頼されたければ、
結果を出す事で、人の期待に応える事だ、と私は思う。
結果が信頼を生む。
今この世の中で、本当に活躍できている人間を思い浮かべて欲しい。
スポーツの世界でもいい、ビジネスの世界でもいい、どんな世界でも構わない。
本当の意味で活躍している人間を思い浮かべて欲しい。
同じ方向へ向かえないなら一緒にいる必要はない。
進む方向が違うなら離れた方がいい。
目指す方角も違うのに、一緒に進めるわけがないからだ。
それも裏切りだとは思わない。
一緒にいたってどこにも進めず、むしろお互いの足を引っ張り合って、
苦しみの中で堕ちていくのが関の山。
同じ方向へ進める仲間でも探した方が前進できるというものだ。
成長だってできる。
口だけ野郎は何もしない。
誰かの為にベストを尽くすなんて事はまずしない。
むしろ私利私欲の為に汚い真似を平然とやってのけやがる。
世の中の汚職なんてものは全部告発しちまえばいい、と私は思う。
そんなもんは裏切りじゃない。
そのままにしておくのはただの甘やかし、
馴れ合い、なあなあ、仲良しこよし、そんなものは単なる甘えでしかない。
悪行を働いたのに何も罰せられない。
人間をつけあがらせるこれ以上の甘やかしはない。
甘え腐った人間が成長する事は一切ない。後退するのみ。
組織や国の発展の妨げ、ただの足手まといである。
口だけ野郎に用はない、消えて失せろと私は言いたい。
口で何をほざこうとも、
国民の為に、組織の為に、家族の為に、子供の為に、誰かの為に、ベストを尽くす事。
例え結果がどうであれ、それのできる人間を私は信用する。
そしてそれが自分の為となる事を知るべきである、と私は思う。
なぜなら、人は成長する生き物だからだ。
ベストさえ尽くしていれば、結果はいずれ付いてくる。
例えそれが誰かの期待通りの結果じゃなかったとしても、その行為があなた自身の成長を生み、信用を生む。
果てはそれが自分の、組織の、国の発展に繋がるのである。
結果が出なかったからといって、それのできる人間を、私は決して口だけ野郎とは思わない。
裏切りとは、
人の「信用」を裏切る事である。
それは「結果」ではない、「行為」の事である。
人の期待を裏切ったからと言って、それを裏切りだとは私は思わない。
「信用」と「期待」とは違う。
信用とは行為に対するものであり、期待とは結果に対するものだからだ。
(まあ、行為に期待する事もあるし、結果を信用す事もあるかとは思うが。)
人間大切なのは何を言っているかではなく、何をやっているかである。
子供は親の背中を見て育つ、なんて言葉もあるが、
その多くの背中を観て育った子供たちが大人になる頃、
汚い政治家となり、無能な経営者となり、子供を追い込む親となり、人を欺く詐欺師となり、
引き篭もりとなり、ホームレスとなり、犯罪に走り、人を裏切り、自殺する。
それが学歴社会を含む様々な時代経て到達した、
豊かさとは程遠い、そしてそこへ向かっているとも言い難い、悲しい現代社会の姿である。
とは私の勝手な見解である(もちろんそんな人間ばかりではないが)。
人は成長もするが、後退もする。
人が成長すれば国も組織も成長(発展)するが、人が後退すれば国も組織も後退する。
景気だって後退するし、後退し続ければ全てのコミュニティは衰退する。
そして、人が荒廃すれば、国も組織も荒廃する。
それは国民に対する裏切りであり、
従業員に対する裏切りであり、
子供に対する裏切りであり、
人々に対する裏切りである。
国民の為と口ではほざきながら、国民の声は全無視、そして平気で汚職をかます政治家ども。
国民の生活なんぞ苦しくなる一方だ。
利益を上げたいと言いながら、従業員を駒の様に扱い、その成長を妨げる組織経営陣。
組織が成長するわけがない。
子供の為と言いながら、その気持ちを一切考える事なく子供を追い込でいく大人たち。
子供が幸福になれるわけがない。
あなたの為、あなたの家族の為と言いながら、人を欺いて弱みに付け込む詐欺師ども。
全ては自分の為である。
それらは全て矛盾であり、裏切りである。
矛盾、そして裏切り
なんて言葉があるが、
世の中に矛盾が溢れているなんて事は誰もが感じている事である。