Come on!突き抜けろ
その革命の朝に目覚めろ
その大地の音から今目覚めろ
未来のチカラに目覚めろ
by THE MAD CAPSULE MARKETS
「LET IT RIP -Download from JOUJOUKA-」
教育とは、
自立した人間を育て上げ、共に成長していく事により、
お互いの心を育む事であると考える。
自立とは、他人に依存する事なく、自らの考えで行動し、
判断し、決断を下し、適切に物事を処理・実行できる状態の事をいう。
職務に対して自立した人間を育て上げていく事、
個々の成長を促し、能力をアップさせていく事、
その為の環境を創り上げ、提供する事、
それが組織を成長させる事に繋がり、
利益を上げる事に繋がり、
従業員の賃金をアップする事に繋がる。
いわゆる賃上げはこうして実現できる。
つまり
人が成長すれば組織は勝手に発展するのである。
国についても同じ事がいえるが、ここでは割愛する。
能力的(社会的)自立に終わりはない。
人間できない事、分からない事はいくらでもあるからだ。
それはいくつになっても変わらない。
つまりどこまでも成長する・発展する。
人は成長する生き物である。
成長すれば能力も上がる
知恵も増す。
可能性が広がる。
従業員が成長すれば組織も成長する。
戦力も上がる。
アイディアも増える。
可能性も広がる。
じゃあどうすればその可能性が開花するのか。
人間本気でやってりゃ何事も勝手に花開く。
本気の人間は失敗してもそのままでは終わらせない。
悔しいからである。
なぜうまくいかなかったのか、
そしてどうすればうまくいくのかを常に考え、実行に移す。
その連続が人を成長させる。その人間を成功に導く。結果に結び付く。
大切なのは従業員がベストを尽くせる環境、
その能力をいかんなく発揮できる環境を創り上げ、提供する事、
それが従業員を育て上げるという事であり、
上に立つ人間の義務である。
という事である。
それが組織全体の結果を生む。
職務に対して結果を出す事が従業員の責任であり、
従業員が結果を出せるよう導いてやる事が上の人間の責任であり、
そして責任を果たす全従業員とその家族を養う事がトップの責任であると考える。
もし、私が上の立場の人間であるならば、
職務を果たす為に頑張ってくれている全従業員に感謝する。
そしてその貢献に対して賃金を支払う。
貢献度が高ければ高いほど高い賃金を支払い、
上の立場へと引き上げる。
お金とは対価だからだ。
そして同じように人を育てさせる。
人を育てたくないというのなら別のコースを用意する。
ベストさえ尽くしてくれれば失敗も厭わない。
取り返しのつかない失敗など、大抵の場合はないからだ。
ケツくらいいくらでも拭いてやる。
何度でも失敗して何度でもガンガン挑戦して欲しい。
いずれ結果が出るだろう。
しかし、人は成長する生き物である。
今不可能な事もいずれは可能となる。
それを念頭に置くならば、
従業員の義務は、
職務に対して常にベストを尽くす事。
それだけでいい。
そして上に立つ人間の義務は、
常にベストを尽くす従業員を、戦力として育て上げる事。
理不尽といえば、
自分の能力以上の成果や結果を求められるなんてもの理不尽な事のひとつだと私は思う。
なぜなら、能力以上の成果や結果を出すなんて事は不可能だからだ。
不可能な事を求められてもプレッシャーにしかならない。
そして決して求められた成果や結果を出すなんて事はできないのだから、
プレッシャーを感じるだけバカをみる。
こんな理不尽な事はあるだろうか。
もし、職場全体の仕事量がキャパシティーオーバーとなっている場合、
放置すればやがて崩壊を招くだろうことを予言しておく。
人が潰れるかも知れないし、雪崩式に人が去っていく事も考えられる。
ただちに人を増やし、人を増やす金銭的余裕がないというのなら、
扱う商品やサービスの料金設定を見直す事をお勧めする。
仕事にいっぱいいっぱいの従業員がモチベーションを下げ続けて、
質の悪いサービスを安い料金で提供するくらいなら、
従業員のモチベーションを上げて、
多少高くても質の良いサービスを提供した方が仕事はうまくいくからである。
もしくは組織・体制の抜本的改革をお勧めする。いわゆる構造改革である。
見直して欲しいのは仕事の量と質である。
どこかの部署、または個人に、
キャパシティーを超えるほどの量の仕事が集中していないか、
能力を超える質の仕事を与えていないか、考えてみて欲しい。
それらは従業員にとって大きな負担となり、
モチベーション低下を招くだけでなく、
もしその従業員が職場を去れば、それは職場にとって大きな損失となる。
その膨大な量と、質の高い仕事を、
またイチから誰かに教えなければならないからだ。
キャパシティーも能力も人それぞれ。見極める基準は精神的な負荷だ。
キッツそうな人、いっぱいいっぱいの人の精神的負担をやわらげる事が肝要である。
仕事の再分配、効率化、質が高いなら慣れるまで先輩を付ける等の対応をお勧めする。
慣れてしまえばキャパも増える、能力も上がる。捌ける仕事の量も質もアップする。
最小限の負担で最大限の結果に導く、それが組織の目指すところである。
そしてもうひとつ、
仕事が嫌になる原因に、
仕事がキツイ
というのがある。
元々キツイ事が分かっていてその仕事に就いたというのならともかく、
自分が想像していたのと全然違うキツさというのは、
モチベーションを下げる大きな要因となる。
それは理不尽さを感じる一因だからだ。
だが無能な人間にそれを求めるのは難しい。
なぜなら、自分が大した貢献もしていないから、
他人の貢献に気付きやがらないのである。
感謝も評価もへったくれもない。
頑張るだけバカをみる。
もし、君の上司が無能であるなら、
ぜひ、転職をお勧めする。
そんな組織に発展はない。
だとするなら、
上や周囲の人間は、
君の職場や周囲の人への貢献に対してもっと感謝の意を表明すべきだ。
それは言葉でもいい、態度でもいい、もちろん賃金に越した事はない。
それができれば君は自分の仕事に対して
やり甲斐を感じる事ができるかも知れないし、
職場のモチベーションも上がるかも知れない。
何の実験だったか忘れたけど、
外国のある実験で、
人がやり甲斐を感じるのは
社会や人に貢献できる仕事だという結果が導き出された。
人は自分が役に立って人に喜んでもらえた時、
人に貢献をして感謝された時などにやり甲斐を感じるらしい。
もちろん万人に当てはまるとは限らないけどね。
そしてそんな職場で働いていて金なんか稼げるわけがない。
ろくに従業員も評価できない、
従業員のモチベーションは上がらない、
そんな組織が成長するわけがないのだから。
従業員が成長しなければ組織は成長しない。
成長しなければ利益も上がらない。
利益も上がらないのに賃金がアップするわけもない。
従って君の給料は上がらない。
上がったとしても雀の涙だ。
会社の成長の速度となんら変わりはない。
いい事なんて何もない。仕事なんかしたくなくて当然だ。
そして君が評価されないのは上の人間が無能だからだ。
無能な人間が人の優秀さを見抜く事はない。
観えないからだ。
人は自分の中にないものを他人に見出す事はできない。
だから君は評価されない。
君が評価のしようもないくらい無能っていう説も否定はできないが、
そんな人間は滅多にいない。
汚職をかましてふんぞり返ってる政治家くらいなものだ。
もし君が頑張っているのなら、それは上の人間の能力の問題だ。
君の問題ではない。
君に何か他に
どーしてもやりたい仕事があるというのなら話は別だが、
人間何をやるかじゃない。
重要なのは誰とやるかだ。
仕事がつまらないのは
君の職場に一緒にいて楽しいと思える仲間がいないからだ。
君もそう思われてるかもしれないけどね。
だから仕事がつまらない。
私の仕事は合法テロ。
裏の顔と表の顔を持つ。
私は仕事に楽しみを見出したいタイプの人間である。
いや、見出す事に決めている。
絶対に見出してやるからそのつもりでいろ!
と思っている。
なぜなら、
人生の大半の時間は仕事に費やされるからだ。
人間楽しければ忙しくたって屁でもない。
どんなに時間がなくたって、
心にゆとりだって生まれるってものだ。
簡単っしょ!
さあ
みんなでやってみよ~♪
目指せ!働くすべての人々の
精神的(人間的)・能力的(社会的)・経済的自立。
できる気しかしない。
どーせできんだからやれよと思う。
組織の中で、
物量・頭脳(首脳)・構造・能力・体力・精神
何かがうまく機能していないか、
偏っているか、足りないか、
欠けている事により、
どこかに負担が集中しているかも知れない。
あらゆる負担は精神構造を蝕み、
全ての効率とモチベーションの低下を招く。
のだ。
君は仕事なんかしたくないという。
できれば遊んで暮らしたいという。
それはなぜ?
仕事がつまらないから?
頑張っても評価されないから?
どんなに働いても大した金なんか稼げないから?
そりゃあ運が悪かった。
周囲の人間でも恨むしかない。