終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 一人ボッチで泣いた夜
終わらない歌を歌おう ××××扱いされた日々
by THE BLUE HEARTS「終わらない歌」
Let’s  冒険
人は観るものしか見えないし
 観るのは既に心の中にあるものばかりである

          アルフォンス・ベルティヨン(フランスの人類学者・犯罪学者)

 という研究者の言葉があるように、
 恐らく人は、自分の経験を通じて心の中に蓄えたものを通して物事を理解し、想像する。
 頭の中にではない、心の中に、である。
 心(気持ち)は経験からしか学べない。

 観える世界は自分の心の写し鏡。

 勉強なんかできようができまいが、
 心がクソな人間から観たらクソにしか見えない人間も、
 優秀な人間が観ればちゃんと優秀な部分も見えるし、
 いい所をたくさん持った人間が観れば、
 その人のいい所なんてたくさん見つかるという事。

 物事を理解し、想像するにあたって、経験不足は致命的となる。
 SNSや言論の自由が持て囃される社会の中で、
 多くの悪口や誹謗中傷が溢れているが、
 無秩序に繰り出される色んな人の、色んな言葉の中からも、それらの事が観て取れる。
 物事に対する理解の度合い、想像の度合い、
 つまり、その人の経験値、知識の幅、教養の程度、懐の深さ、理解力、想像力、器。
 他人を評価する時、その評価によって自分も評価される事があるという事を念頭に置き、
 なるべくその人のいい所を探すよう心がけるのが賢明であると思われる。
 下手な発言は、自分の薄っぺらい経験値、理解力や想像力のなさ、人間の小ささ等を露呈する事になる。
 誹謗中傷なんて言われた人間からすれば大抵の場合、「いや、こっちの台詞だよ」てなもんである。


 心(気持ち)が低次元の者が高次元の者を評価する事は不可能であり、正当、正確な評価は希少である。
 なぜなら、観えないのだから。
 他人に下すその評価はほとんどの場合あなたの心の中にある自分自身の姿であり、
 良くも悪くもほとんどの場合、偏見であると知るべき事を提唱したい。

 その偏見がその人の人生に大きな影響を及ぼす可能性もあるという事も知って欲しい。

 そして様々な事に挑戦し、色々な人と出会い、多くの経験を積んで人生を生きる事を推奨する。


Aくんはどちらのつもりもなかったとすると
Bくんの評価もCくんの評価も個人的な偏見である

しかしその偏見が
その後のAくんの人格形成に大きな影響を及ぼす事になり兼ねない
そんなCくんの評価を受けたAくんは

自分はこのままでいいのだ
と自分の性格に自信が持て
その後も誰にでも平等に接する性格が定着

なんて事になるかも知れない
そんなBくんの評価を受けたAくんは

自分は人から嫌われたくないだけなのかと自己嫌悪
また、人からそう思われているのかと周りの目を気にし
その後人によって態度を変える性格に

なんて事があるかも知れない
そんなAくんを観て

Cくんは
お前は誰にも媚びないところが素晴らしい
と評価
そんなAくんを観て

Bくんは
お前は誰にも嫌われたくないだけだろ
と評価
基本的に優しい性格のAくん

誰にでも分け隔てなく、同じ様に接する性格