憧れの明日を取り戻せ 闇に埋もれし確かな光
もうひとりのお前がそこに居る
魂のともし火を消すな ああ 風がヤケにしみる
浮世小路に真実の風が吹く
光あれ
by 宮本浩次「浮世小路のBlues」
「人間的」とは何かな? 答えの数が世の中の形
君がよけりゃ必要としてくれ CALL ME CALL ME
by YOSHII LOVINSON「CALL ME」
また、AIの活用も人手不足を解消する為の大きなカギとなる。
現場にどういったAIがあれば人の働きをカバーできるのか、
助けになるのか、人手不足に悩む現場の声を拾い上げ、
そうしたAIを開発する事業にも力を入れていきたい。
2022年11月 |
疑問を持つ事の重要性(視点と考え方~背景を探る~) |
ニートや引き篭もり、ホームレスの人たちに対して、
甘えだと切り捨てたり、憐れみの目だけを向けたりするのではなく、
なぜ、そうした人たちは生まれてしまうのか、
人手不足で悩まされている業界はたくさんあるのに、
なぜ、失業者や仕事に就けない人々が溢れているのか、
先の見えない時代をただただ嘆き、受け入れるのではなく、なぜなのか、という視点。
その背景(原因)を探る事から、解決策を導き出すという考え方。
病気や怪我が原因でニートや引き篭もりになる人もいるが、
そもそも社会にそういった人たちの受け入れ先(居場所・心の拠り所)がない事が原因なのでは。
だとしたら、受け入れる土壌を創り上げる事が大切なのでは。
先が見えないとはつまり、業界・人、共に対策が見つからないという事。
だったら、人手不足の業界と、仕事をしていない人たちとをマッチングする体制を創り上げてみる等、
まずは仕事をしていない人たちの受け入れ先を確保する対策を練り、実行してみてはどうか。
そんな土壌や体制を創り上げる事ができたら、
先が見えない人々も、先が見えてくるのではないか。
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現場と言っても多種多様であるが、
まずは現場の声を拾い上げる事、
そこに重点を置く。
そして現場で困っている事、悩んでいる事、要望、希望、
それらを解決し、叶える為の方策を、
皆さんと一緒に話し合い、
知恵を出し合いながら、
共に歩んでいく事を望む。
外国人労働者の受け入れが悪いと言っているわけではないが、
まずは国内で働いていない人々の雇用問題を解決しつつ、
AIの活用と並行しながら、
希望の見出せる(先の見通せる)社会の実現を目指す。
自分の生活スタイルに合わせた多種多様な働き方が求められる現代では、
不本意非正社員もいれば、
敢えて自分の好きな時間帯に働けるパートタイム雇用を希望する者も多い。
彼らの様な人材を、まずは短時間労働やパートタイム雇用で雇い、
戦力となり次第正規雇用に転換する等の工夫も求められる。
せっかく戦力となった人材を安い賃金で使い回すのではなく、
本人が希望するのであればしっかりと正規社員として雇用する事、
そしてその実力に見合った賃金を与える事、
そうしたチャンスをまず与えることが、
雇用の創出や雇用される者の労働意欲にも繋がり、
果ては希望の見出せる社会へと繋がっていくのではないかと考える。
人なんて足りなければ居るところから連れて来ればいいし、
戦力が足りなければ自分たちで育て上げればいい。
今この国には働いていない人が多く、溢れている。
そのような努力を怠り、国内の問題から目を背けるようにして外国を頼り、
外国人労働者を多く受け入れ、移民を受け入れ、外国を優遇する様な政策を推進する前に、
まずは自国のそういった人たちを救済し、受け入れ、優遇し、
戦力として育て上げることを優先していきたい。
そうした人たちが武器を身に付ける為の、
今ある職業訓練の内容の見直しや、質の向上も大きな課題となる。
通り一遍の知識やスキルではなく、
実践で通用するスキルを身に付けさせる事に重点を置く。
彼らは自信を失っているのかも知れないし、
自分を受け入れてもらえない事を恐れているのかも知れない。
自分は何の役にも立たないと考えている人もいるかも知れないし、
自分には何もできないと思い込んでいる人もいるかも知れない。
冷たく理不尽な世間の対応に失望しているのかも知れないし、
そんな環境に絶望しているのかも知れない。
実際にそういった生活を長く続けていると、
実社会でできる事は少ないのかも知れないし、
色々な事ができる様になるまでには時間がかかるかも知れない。
そうした事全てに悩み、苦しんでいる人もいるかも知れない。
そんな彼らが実社会に出て働くという事は、とても勇気のいる事であり、
覚悟だって必要な事かも知れない。
その全てを、大きな度量をもって受け入れ、採用し、
育む事のできる企業・法人・団体が増える事がまず求められる。
では、希望が見出せないとは具体的にどういう状態の事なのか。
希望とは夢や目標の事なのか、
それが見出せないとは、やりたい事が見つからないという事なのか。
しかし、夢ややりたい事なんかなくても、
普通に社会人生活を送っている人もいれば、楽しく生活を送っている人もいる。
夢ややりたい事があっても精神を病んでしまう人もいるし、
苦しむ人は多くいる。
その違いはどこにあるのか。
- 希望の見出せる社会へ -
ずばり、
それは人々の理解と度量、そして知恵と工夫、実行力であると考える。
人を追い込むのは大抵の場合、いつだって人であり、人を救うのも人である。
決して神様などではない。人なのである。
神に祈ってもいいし、縋るのも構わない、
しかし、人に恵まれない限り、恐らく無駄である。
じゃあ具体的に言うとどういう事か。
簡単である。
そういった人々の気持ちや苦しみを理解し、
大きな度量をもって受け入れてあげる事、
また、その手助けとなる土壌を創り上げる事、
その為の知恵と工夫、それを実現する為の実行力、
求められるものは、人々のそれである。
ずばり、
それは「環境」であると考える。
環境とは、ほとんどの場合、人によって創り出されるものであり、
つまりほとんどの場合、それを司る「人」そのものであると言えるのではないか。
単純に言えば、周りにいる人が楽しければ職場も楽しいし、生活も人生も楽しいという事。
人間何をやるかではない、重要なのは誰とやるかである。という事である。
関わる人々と仕事や生活を楽しみつつ、
そこを土台として夢や目標を見出し、それらを叶えられる環境を整えられたら、
きっとそれが最高なのではないか、
それが希望を見出すという事に繋がるのではないか、と思慮する。
好き好んでニートや引き篭もり、ホームレスになる人はいない。
いたとしても稀であると考える。
ましてや自ら精神を病む人など存在しない。
みんな様々な理由により、そうした状況へ追い込まれたものと推測する。
それでも人は生活しなければならず、
生活する為には食べ物もお金も必要であり、
誰だってできれば働きたいし、
心の奥底では社会との繋がりを求めているものではないかと推測する。
では、希望を見出す為には何が必要なのか。
現在、人手不足に悩まされている業界が多くある一方で、
働いていない人の数も多く、溢れている。
先の見えない時代と言われる現代において、失業者のみならず、
仕事や社会に希望を見出せず、ニートや引き篭もりになる人、ホームレスになる人、
また、精神に障害を抱えてしまう人も多くいる。